大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福島地方裁判所いわき支部 平成元年(ワ)44号 判決 1990年11月16日

原告

吉田弘志

右訴訟代理人弁護士

渡辺正之

広田次男

被告

右代表者法務大臣

梶山静六

右指定代理人

今泉秀和

外五名

被告

井戸川大則

主文

一  被告国は原告に対し金三〇万三二六二円及びこれに対する平成元年四月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告国に対するその余の請求及び被告井戸川に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告国の各負担とする。

事実及び理由

一請求

被告らは原告に対し、各自一四六万六三一〇円及びこれに対する平成元年四月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二事案の概要

本件は、福島地裁いわき支部が実施した強制競売において、原告が別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という)を借地権付きの建物であると信じて競落したところ、実は借地権がなかったため、結局土地所有者に対して本件建物を収去して土地を明渡さざるをえなかったとして、そのために生じた損害の賠償を国及び評価人に請求するものである。

(争いのない事実)

1  原告が本件建物を競落するに至った経緯

(一) 株式会社オリエントファイナンスは、昭和六三年二月二四日に、福島地裁いわき支部に債務者鈴木幸太郎所有の本件建物につき強制競売の申立をなしたところ(当庁昭和六三年ヌ第一六号不動産強制競売事件。以下、本件競売事件という)、同日強制競売開始決定がなされ、同年三月一五日には執行官に対する現況調査命令と評価人である被告井戸川に対する評価命令が発せられた。

(二) 執行官西舘美輝雄は同年四月一四日に現況調査報告書を、井戸川被告は同年六月三日に評価書をそれぞれ執行裁判所に提出した。

(三) 西舘執行官の作成した現況調査報告書には、鈴木の敷地占有権原を「賃借権」とし、敷地の所有者新妻アキ子は鈴木の姉であり、右賃借権は姉弟間の建物所有目的の賃貸借契約に基づくものである旨の記載がなされている。

(四) 井戸川被告の作成した評価書には、本件建物が借地権を有することを前提にしたうえで、借地権価格を六〇万八四〇〇円、建物本体価格を七五万九八五九円、故に本件建物の評価額は右の合計一三六万八〇〇〇円(一〇〇〇円未満切り捨て)である旨の記載がなされている。

(五) これを受けて、執行裁判所は同年六月六日、本件建物の最低売却価額を一三七万円、保証額を二七万四〇〇〇円と決定し、又、同日物件明細書を作成してこれを一般の閲覧に供したが、これには敷地利用権について「敷地所有者新妻アキ子との間に賃貸借契約(期間昭和四五年一月初めころから三〇年間、借賃毎月六六〇五円、毎月末日払、敷金なし)がある」との記載がなされている。

(六) 原告は、本件建物について同年七月七日入札し、同月二〇日午前一〇時、一四一万二〇〇〇円で売却許可決定を受け、同年八月一二日売却代金等(合計一四六万五二一〇円)を納付し、同月一三日には所有権移転登記の嘱託がなされ、同月一五日同登記を了した。そして、同月二九日には、弁済金の交付がなされた。

2  新妻と鈴木との間の訴訟上の和解の存在

新妻と鈴木との間には、昭和五七年一一月四日、本件建物敷地の賃貸借契約が賃料不払いを理由とする解除により終了していることを確認するとともに、鈴木は昭和六三年一一月三〇日限り新妻から二〇万円の立退料の支払を受けるのと引換えに、新妻に対し、本件建物を収去して土地を明渡す旨の訴訟上の和解が成立していた。

3  新妻と原告との間の調停

新妻は、昭和六三年一〇月二七日、前記2の訴訟上の和解がなされていることに基づき、原告に対して建物収去土地明渡等を求める調停を申立て(いわき簡易裁判所昭和六三年ユ第一一号)、同年一一月二五日、原告は新妻に対し、平成元年一月末日限り本件建物を収去してその滅失登記手続をなし、同登記簿謄本の交付と引換えに新妻から和解金五五万円の支払を受けることを主要な内容とする調停が成立した。

(証拠上容易に認められる事実ないしは当事者間に実質的に争いのない事実)

1  西舘執行官は、本件建物の現況調査に際し、敷地所有者である新妻からは事情聴取を行わなかった。

2  原告は、本件建物に借地権がないということにつき、本件競売事件において民事執行法上の手続による救済を求めたことはない。

3  原告は不動産の売買・賃貸借等の仲介等を業とする者であり、昭和六〇年一二月ころから裁判所の競売に参加してきたものである。<証拠>

4  原告は、前記争いのない事実3の調停に基づき、平成元年一月末日までに本件建物を収去して滅失登記手続をなした。右のために、原告は合計三二万〇八〇〇円(建物収去工事費用三〇万円、建物滅失登記手続費用二万〇八〇〇円)の出捐を余儀なくされ、一方、新妻から五五万円の支払を受けた。又、原告は本件建物の競落により不動産取得税三万〇三〇〇円を徴収された。(以上につき、<証拠>)

(主たる争点)

1  本件建物に借地権があるとした西舘執行官の現況調査報告に過失があるか。

この点につき、原告は、西舘執行官が本件建物敷地の所有者である新妻から事情聴取を行わなかった点に過失があるとするのに対し、被告国は、執行官の現況調査においてどの程度の調査方法を講ずるべきかは執行官の合理的な裁量に委ねられているものであって、執行官がその裁量を著しく誤ったときにはじめて違法性ないし過失の問題が生ずると解すべきところ、本件において西舘執行官が新妻に対する調査を行わなかったことに何ら過失はない旨反論する。

2  本件建物に借地権があるという前提でなした、井戸川被告の本件建物についての評価に過失があるか。

3  右現況調査報告と評価とを信用し、これに基づいて本件建物の最低売却価額を決定し、期間入札を実施した裁判官に過失があるか。

この点につき、被告国は、裁判官の行為が国家賠償法の適用において違法とされるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを執行したものと認めうるような特別の事情があることが必要であるところ、本件競売事件を担当した裁判官についておよそそのような事情を認めることはできないと主張する。

4  原告が本件競売事件において民事執行法上の救済手続をとらなかったことと、本件において国家賠償法の規定による賠償を請求することの関係。

被告国は、原告が民事執行法上の手続による救済を求めることを怠ったため損害が発生したものであるから、原告は国に対して国家賠償法による賠償を請求することはできないとするのに対し、原告は、現況調査報告書等の記載を信頼しきっていたため民事執行法上の救済手続をとる余地がなかったものである旨主張する。

5  原告は、本件建物に借地権がなかったことを理由に、債務者である鈴木或いは配当を受けた債権者に対して民法五六八条に基づき担保責任を追及することができるか。

被告国はこれを肯定する立場に立ったうえで、仮に執行官或いは執行裁判所に過誤があるとしても、そのことと原告の損害とは因果関係がないものというべく、したがって原告は国に対して国家賠償法による賠償を請求することはできない旨主張する。

(その余の争点)

原告の損害の算定等

三争点に対する判断

1  <証拠>によれば、西舘執行官が前記現況調査報告書のような記載をなすに至った事情として、以下の事実を認めることができる。

(一)  西舘執行官は、現況調査命令を受けて、昭和六三年四月七日午前九時二〇分ころ鈴木方である本件建物に赴いた。その際、同執行官は補助者として執行官室事務員高橋清一を伴い、又、評価人たる井戸川被告及びその補助者もこれに同行した。

(二)  同執行官らは鈴木方で、鈴木本人及びその息子と称する人物と面接して事情を聴取したところ、同人らは本件建物の敷地所有者新妻アキ子は鈴木の姉であること、同敷地としていわき市四倉町字六丁目二九八番の宅地二一八平方メートル全部を昭和四五年一月初めころから期間の定めなく賃借しているが、契約書は作成していないこと、賃料は月額八〇〇〇円、支払期は毎月末日であるが、昭和六二年九月分から遅滞していることなどを述べた。

そこで、同執行官は新妻方の所在を尋ねたところ、鈴木の息子と称する男が「この裏に住んでいる」と答えたので、同執行官は新妻を呼んできてくれるよう依頼した。すると鈴木が席を立って出て行ったが、間もなく戻ってきて留守であると報告した。その後、敷地の範囲を鈴木に指示させるべく屋外に出た際、高橋事務員が裏の家を見に行ったが、鍵が掛かっていて留守であったこと及び同家に表札はなかったことなどを同執行官に報告した。

(三)  以上の次第で、西舘執行官は鈴木の言を信用できるものと判断し、現況調査報告書にも同人から聴取した結果をほぼそのとおり記載したが、鈴木が昭和六二年九月分から賃料の支払を怠っているとの点については記載を漏らしてしまった。

2 ところが、真実は、新妻と鈴木の間においては前記争いのない事実2のような訴訟上の和解がなされているのであるから、鈴木らは西舘執行官らに対してこの点を隠し、虚偽の事実を申し向けたことになる。

(一) そこで、更に進んで、西舘執行官がこのような鈴木らの虚偽の陳述を虚偽だと見破れないまま信用してしまったことに過失があるか否かを検討するに、鈴木らの前記陳述は極めて具体的であり、しかも昭和六二年九月分から賃料の支払を遅滞していることなど自己に不利益な事実をも含むものであって、一見したところではまことに自然で信用性に富むものであるということができる。そのうえ、鈴木は、西舘執行官の求めに応じて、裏に住んでいるという新妻を呼びに行き、立ち戻って留守であった旨報告をなしたのであるが、事実、裏の家の住人が留守であったことは高橋事務員によって確認されてもいるのである。

そうすると、鈴木らの陳述内容やその挙動・態度などにはそれ自体において疑問を抱かせるに足るような矛盾や不審な点は見受けられないものというべく、したがって、西舘執行官がこれを信用したことは一応もっともなことといってもよいように思われる。

(二) しかし、翻って考えるに、本件競売事件がそうであったように、競売の目的が建物である場合において、建物所有者とその敷地の所有者とが異なるときには、当該建物が敷地利用権を有するか否かは極めて重要な意義を有する(敷地利用権がなければ地上建物の存在は法的な根拠を欠くわけであるから、実際上もその存在が脅かされることになる。したがって又、その価値は著しく低廉にならざるをえないから、競売手続の側面からだけみても、場合によっては手続を継続することができない(民事執行法六三条参照)という事態も生じうる)ところ、このような重要な事項について正確な事実関係が把握されないというのでは、競売手続の円滑・適正な進行はおよそ期待することができず、或いは又競落人に不測の損害を及ぼすということも予想されるのであって、もしもそのような事態が繰り返されるようなことがあれば、競売制度そのものに対する国民の信頼を揺るがすことにもなりかねないのである。それ故、現況調査に従事する執行官においてもこのことを十二分に認識したうえで、この点についてはあくまで慎重に調査し判断しなければならないものというべく、このような観点からするときは、執行官としては建物所有者から事情聴取するにとどまらず、敷地所有者からのそれをも尽くしたうえで、その結果を総合的に判断してできる限り正確な結論を導くことができるよう努めなければならないものというべきである。何故なら、一般に建物が競売に付されるというような局面においては、往々にして建物所有者に対する敷地所有者の信頼は多分に損なわれ、時には両者の間に深刻な利害の対立が生じていることさえあるため、一方の側から事情を聴取するのみでは、その者の思惑に左右されるなどして真実を発見することが困難なことも多いのではないかと懸念される(敷地利用権がないとか或いは消滅したなどと敷地所有者から主張されている場合であっても、建物所有者としてはこれがある旨回答するということも考えられるし、又、とりわけ悪質な債務者などは、反対に敷地利用権があるにも拘らずこれがないと主張して競売を妨げようとすることさえないとはいえない)のに対し、双方から聴取すれば、その間に通謀がなされているというような例外的な場合を除いては、比較的容易に、かつ的確に真実を発見することができるものと期待されるからである。更には、執行官が現況調査の際に敷地所有者に接触しておくことによって、右調査後に生じた事態についての敷地所有者から執行裁判所への情報提供に結びつくという可能性もあるなど、執行官が敷地所有者に面談するなどして事情を聴取しておくことの重要性については、まず異論をさし挟む余地がないものということができる。そうすると、執行官としては、建物所有者と敷地所有者の双方から事情を聴取することをこの場合の原則的手法とすべきものといわなければならない。

もっとも、現況調査においても迅速な処理が要請されることは当然であり、しかも一般に執行官が相当多忙な執務環境に置かれていることは容易に推察されるところであるから、その労力の節約軽減や能率ということも考えなければならず、このことと前記原則との調和が図られなければならないが、その場合においても、あくまで電話や郵便の活用その他の創意工夫による省力化ということがまずもって追求されるべきであって、建物所有者からの事情聴取のみによっても合理的な疑問を抱かせない程に事実関係が明らかになったとか、敷地所有者から事情聴取することが著しく困難であるなどの特段の事情がない限りは、安易に敷地所有者に対する事実確認を省略することは許されないものというべきである。

(三) 以上のような一般論を踏まえて考察するに、西舘執行官が建物所有者たる鈴木から事情聴取したのみで、敷地所有者たる新妻からは結局何らの確認もとっていないことは前記のとおりであるところ、本件の場合にはこれを正当化するに足る特段の事情は見出し難いものといわなければならない。そして又、新妻に対する事実確認を行っていれば鈴木らの陳述が虚偽であることを容易に見抜くことができたものと思われる。

(1)  まず、鈴木からの事情聴取の結果はおよそ合理的な疑問をさし挟む余地がない程までに確かなものであるかといえば、決してそうではない。そもそも本件現況調査にあっては、鈴木の陳述を裏づける賃貸借契約書の如きものは存在しなかったし、まして右陳述中にも賃料不払の事実が表明されていたものであるから、一般的にはかなり慎重な確認を要すべき事案であったというべきであるにもかかわらず、西舘執行官が右陳述を信用できるものと判断した背景には、新妻が鈴木の姉であり、しかも鈴木方の裏に居住しているということがあったものと窺われるのである。そして、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば右の事実自体は真実であることが認められるとはいうものの、当時はこの事実さえ客観的な資料によって裏づけられていたわけではなく、ただ鈴木とその息子と称する男のその旨の陳述があるだけだったのである。つまり、右陳述の信用性は客観的には決して高いものではなかったにもかかわらず、西舘執行官は、鈴木らの述べるところ自体によってそれが信用できるものと判断したというに帰する。

(2)  そして、新妻に対して事実を確認することはそれ程困難なことであったとは思えない。前記1の冒頭に掲記した各証拠によれば、西舘執行官においては事前に新妻の住居を住宅地図で調べたが、遂に判明しなかったというのではあるが、鈴木方に赴いてこの点を尋ねたところ鈴木方の裏の家に居住している旨教えられたのであるから、その正確な住所と電話番号を聞き出しておきさえすれば、後に改めて出直すまでのこともなく、電話なり郵便による照会で鈴木らから聴取した事実の真偽を確かめることは容易になしえた筈である。

(3)  以上によれば、西舘執行官としてはやはり新妻に対する事実確認を省略すべきではなかったものと結論せざるをえない。もっとも、本訴において新妻の証人尋問を実施しようとしたところ、同人は老人性痴呆のため出廷できない旨の平成二年一月二六日付診断書が提出されて結局これが実現しなかったこと、原告を相手方とする調停の際にも新妻は一度も出頭したことがなく、「(同人は)ボケている」というような話がでていたこと(この点は<証拠>によって認められる)などに照らせば、新妻が昭和六三年四月ころには既に老人性痴呆の症状を呈していたという可能性もないとはいえず、そうだとすると、西舘執行官において本件建物の借地権の有無につき新妻から確認しようと努めたとしても、確たる資料を得ることは実際には困難だったのではないかとも考えられる。しかし、原告本人尋問の結果によれば新妻方には同居している家人もいることが窺われるのであるから、新妻本人から確認できないとしても家人に確認することはできた筈である。そうすると、当時の新妻の健康状態の如何によって前記結論が左右されることはないものといわなければならない。

なお、付言するに、前記1の冒頭に掲記した各証拠によれば、西舘執行官においても通常は敷地所有者に対する確認をしていることが認められ、それ故、本件の場合も、前記のとおり新妻の住居を調べたり、その電話番号を電話帳で探したりしたというのである。しかるに、それが判明しないまま、鈴木らの巧妙な虚偽の陳述に出会ってすっかり信用せしめられてしまい、右のような折角の努力を途中で放棄してしまったことは如何にも残念なこととしなければならない。とかく債務者というものは、追いつめられた苦しさの余り、往々にして自己に都合のよい嘘や安易な希望的観測を述べたりすることがあるものであるから、執行官としては、人間的には辛いことであっても、職務上はあくまでもこの点の警戒心と用心深さを失わないように努めなければならないのである。

3  次に、井戸川被告の過失の有無について検討するに、前記1で確認したところによれば、同被告が本件建物の評価をなすに際して依拠した「本件建物は借地権付きである」との前提は、西舘執行官が鈴木らから聴取した結果に基づき、又、同執行官のなした判断過程とほぼ同様のそれによって得られたものであろうということができ、そうすると、同被告についても前記2で検討したことが一応そのままあてはまるということがいえなくもなさそうである。

しかしながら、評価の前提となる諸事実については評価人も独自の立場から調査すべきであるとはいえ、これは、評価という評価人本人の専門的な職責を果たすために避けて通ることのできない副次的な義務にとどまるのであって、これらの事実について第一次的な調査義務を負担しているのはあくまでも現況調査を担当する執行官においてである。それ故、執行裁判所にとっても、この点に関する評価人の調査結果は、二重のチェック機能を働かせるための端緒となりうるという程度の二次的な意義が認められるにすぎない。すなわち、これが執行官の現況調査の結果と異なるときには、執行裁判所において自ら関係者を審尋するなど更に手段を尽くして慎重に調査・判断をなすべきことが求められるのに対し、両者の結論が一致するときには評価人の調査結果に独自の意義が見出されるようなことは殆ど考えられないのである。しかも、実際上は、種々の考慮から、本件の場合のように執行官と評価人が同行して現地に赴くことが少なくないのであって、このような実情に照らしても、評価人が執行官とは別個独立に調査を尽くし、まして執行官が把握している以上に的確な判断材料を入手するというようなことは到底期待することができないものといわなければならない。これを要するに、評価の前提となるべき事実についての評価人の調査は、概ね執行官の現況調査の域を出ないのであり、やや視点を変えてこの両者の関係を見るならば、評価人の評価は、その前提事実については現況調査の結果を踏まえたうえでなされているのも同然の関係にあるといっても過言ではないのである。そうすると、評価人が現況調査の結論と同一の事実を評価の前提として評価をなしたところ、その前提事実が誤っていたため評価自体も誤ってしまったという場合においても、結果的には現況調査に誤りがあったために評価を誤まらしめたというのと同様であるから、特段の事情のない限りは評価人に独自の責任を問うことはできないものといわなければならない。

そこで、右にみたところを本件競売事件についてあてはめて考えるに、前記認定のとおり、西舘執行官が現況調査に赴いた際に井戸川被告もこれに同行したのであり、同執行官がその際の鈴木らからの事情聴取の結果、本件建物は借地権付きであるとの結論を導いたとき、同被告も又これと同様の結論に到達していたわけであるが、評価人としての同被告に執行官がなす以上の調査を尽くすことを期待することはできないから、これも又やむをえないこととしなければならない。つまり本件は、井戸川被告が西舘執行官の現況調査の結論を尊重し、それに基づいて評価をなしたところ、右現況調査結果が誤っていたために評価そのものを誤ってしまったというのと結果において同視できるのであって、結局は評価人としての同被告の責任を問うことはできないものといわざるをえない。

以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の同被告に対する請求が理由のないことは明らかである。

4  更に、裁判官の過失の有無についてみるに、結論からいえばこれを肯定することはできない。

当裁判所は、裁判官の職務行為の違法性判断の基準につき被告国が主張するところは、争訟の裁判についていうのならば格別、民事執行などを含む裁判官の職務行為一般についてこのような基準を設定することにはにわかに同意することができない(これ程までには至らなくても、裁判官の義務違背の程度が著しいときには当該職務行為が違法とされる余地はあると考える)ものであるが、そのような前提のもとに本件競売事件についてみても、当該裁判官の行為が違法であるとか過失があるなどということはできない。なるほど、西舘執行官が現況調査に際して本件建物の所有者たる鈴木から事情聴取したのみで、敷地所有者たる新妻からの確認をとっていないということは、その現況調査報告書(<証拠>)の記載自体からも判明することであり、このような現況調査のあり方が原則から外れたものであることは前記2においてみたとおりであるから、裁判官としては西舘執行官に対して右原則的手法を採らなかった理由を質してみるというような努力を尽くしていればより望ましかったということはできよう。しかし、同報告書には、新妻は鈴木の姉であることなどが明記されているのであるから、このような事情のもとで西舘執行官としては鈴木からの事情聴取のみで足りると判断したのであろうと裁判官が考えたとしても無理からぬものがあり、同裁判官において前記のような努力を尽くしていないことをもって著しい義務違背があるなどとすることは到底できないのである。

原告は又、前記争いのない事実2の訴訟上の和解は福島地裁いわき支部にとって顕著な事実であったとしたうえで、裁判官の過失を主張するけれども、およそこのような主張を採用することはできない。

5  右のとおり裁判官には過失も違法もないが、前記2において検討したところによれば、本件建物の現況調査を行い、誤った結論を導いた西舘執行官には一定の過失があったものといわざるをえず、又、右現況調査の誤りが物件明細書等に引き継がれた結果、客観的な意味においては、執行裁判所の処理に過誤があったことは明らかである。

しかしながら、その一方で、以下にみるとおり原告の過失も又重大なものがあるといわなければならない。

(一)  そもそも現況調査報告書等に記載されている事項の客観的な真実性が担保されているわけのものではもとよりない。そして乙第五号証及び原告本人尋問の結果によれば、①各裁判所の窓口などには、最高裁判所が作成した「競売不動産買受けの手引」が用意されており、原告もこれを貰って持ち帰ったことがあるところ、これには、裁判所が備え置いた物件明細書、現況調査報告書、評価書はあくまでも参考資料にすぎないのであるから、買受申出をしようとする者において自ら当該不動産の調査をすることが重要である旨の記載があること、②本件建物が借地権付きであるとする現況調査報告書には、これが専ら債務者である鈴木の陳述に基づくものであることが明記されていること、③原告は入札前に本件建物の下見に現地に赴いたことがあるところ、本件建物は玄関が開けっ放しで新聞や郵便物が溜まったままになっており、数か月間ないしはすくなくとも一か月以上は誰も住んでいない状況であるとの感触を得たこと、④原告はそれ以前に評価書(<証拠>)を閲覧しており、そこには「昭和六二年分から(賃料が)未払いである」との記載がなされていることを承知していたこと、⑤原告は入札後においてもお盆前に二、三回現地に赴き、その第一回目に新妻に会って本件建物の新所有者として挨拶をしたこと、その第二回目ないし第三回目には新妻側から「本件土地・建物の件は弁護士に任せてあるから、そちらで話をしてくれ」と言われたこと、が認められる。不動産業者である原告としては、右①の事実を俟つまでもなく、自ら現地調査をなすことの重要性を認識しており、それだからこそ③、⑤のように度々現地に赴いているのであって、その際に得た③の情報を④と併せて考えるならば、鈴木が賃料を不払いのままでいることは容易に推測されるのであるから、借地権が消滅しているというようなことはないであろうかとの危惧を抱いてもむしろ当然ではないかと思われ、更に②の点をも併せ考慮すれば、本件建物は借地権付きであるとの現況調査報告書等の記載そのものに対しても一抹の不安ないし疑問を抱くことがあってもよかったのではないかとさえ思われるのである。そうすると、③の際、或いはどんなに遅くとも⑤のうち最初に新妻に会った際には、右の点を新妻に直接確認してみるべきであり、新妻側から「弁護士と話をしてくれ」と言われた以上、直ちにその努力をなすべきことが要請されていたものといわなければならない。

しかるに、原告は、本件建物は借地権付きであるとする現況調査報告書等の記載をひたすら信ずるのみで、右のような努力を全くしていないのであるから、原告のこのような態度は不動産業者のそれとしてはいかにも不十分であって、原告にはこの点においてまことに大きな手落ちがあるものといわざるをえない。そればかりか、原告本人尋問の結果によれば、本件建物の代金納付期限は昭和六三年八月二六日と定められていたにも拘らず、原告は「少しでも早く仕事に着手したかった」という理由で同月一二日には売却代金等を納付したことが認められるところ、前記⑤のとおり、原告はお盆前に新妻側から「本件土地・建物の件は弁護士に任せてあるから、そちらで話をしてくれ」と言われていたのであり、当地方の「お盆」とは八月一三日から一六日を意味するから、これらを総合すれば、原告は新妻側から右のような申し出を受けた後に敢えて期限より前に売却代金等を納付したのではないかと推測されるということになり、そうだとすると、原告の行動はまことに不可解といわざるをえない。一般に、わが国においては「弁護士に任せる」というからには、そこに訴訟ないしはそれに準ずる紛争が存在するのが常態であり、少なくともそのように受けとめるのが常識的な感覚であるものといってよく、原告も又何らかのトラブルがありそうな話としてこれを受けとめたことが認められる(<証拠>)のであるから、新妻側から右申し出があった以上、原告としては本件土地・建物に関する訴訟等があるのではないかということに思いを巡らし、右申し出に従い直ちに当該弁護士に連絡をとるなどして、一層慎重な判断をなすべきことが要請されていたものといわなければならないのに、原告はそのような努力を怠ったばかりか、あろうことか期限前に売却代金等を納付してしまっているのである。このような原告の不可解な行動の背景には、「現況調査報告書等の記載を信じきっていた」とか「少しでも早く仕事に着手したかった」というだけでは説明しきれない、不動産業者としての原告なりの何らかの思惑が働いていたのではないかとも考えるほかはない。

以上検討してきたところによれば被告国が主張するように、「原告は代金納付時までに本件建物に敷地利用権がないことを知っていた」というまでの事実を認めることはできないが、原告において慎重に調査するならば比較的容易にこれを知ることができた筈であり、又、原告をして右のような調査を尽くすべきことの必要性を感得せしめるに足る諸事情は十分に備わっていたものということができる。そして、もしも原告においてそのような調査をなし、本件建物の借地権が消滅していることを知り得たならば、民事執行法上の各種救済手続をとることができた(売却許可決定後に限ってみても、同法七四条の執行抗告や同法七五条による売却許可決定取消の申立をすることが考えられる)し、もちろん売却代金等を納付することもなかったのである。

(二)  ところで、被告国は、原告は民事執行法上の手続による救済を求めることができたにも拘らずこれを怠ったのであるから、原告に何らかの損害が発生したとしてもそれは原告が右のような救済を求めることをしなかったために生じたものであり、その賠償を国に対して請求することはできない旨主張する。そして、既にみたところによれば、原告において民事執行法上の手続による救済を求めることができたにも拘らずこれを怠ったといわれてもやむをえないものがある。

しかしながら、前記2のとおり、建物に敷地利用権があるか否かは、もしもこれがないということになれば当該建物は存在基盤を欠くことになり、これを競売手続の側面からみても、場合によっては手続を続行することが不可能になるかもしれないという程に重要な事項なのである。

しかるに、本件競売事件においては、現況調査の際に敷地所有者に対しても事実確認をするという原則的手法を用いなかったために、債務者である建物所有者の虚偽の陳述を信じ込まされて、本件建物は借地権付きであるとの誤った結論を導き、それを前提にして手続が続行されたわけであるから、ことは重大であって、このような場合にまで被告国の右主張がそのまま妥当するものとして一律に国家賠償法上の損害賠償を求める道を閉ざすことは決して相当ではない。

かくして、当裁判所は、本件は「執行裁判所みずからその処分を是正すべき場合等特別の事情がある場合」に該当するものであって、原告に損害が生じているならば原告は被告国に対してその賠償を求めることができるものと考える。ただ、前記のとおり原告の過失も甚だ大きいといわなければならないから、過失相殺の法理が適用されるのは当然であって、その割合については原告の過失を八割とするのが相当である。

6  そこで更に進んで、原告の損害について判断するに、これは、原告が納付した売却代金等一四六万五二一〇円、本件建物の収去費用等三二万〇八〇〇円、不動産取得税三万〇三〇〇円、以上合計一八一万六三一〇円から、原告が新妻から支払を受けた五五万円を控除した一二六万六三一〇円であるものということができる。

ところで、被告国は、原告は民法五六八条に基づき債務者或いは配当を受けた債権者に担保責任を追及することができるから、執行裁判所等の過誤と原告の損害との間には因果関係はない旨主張している。当裁判所も右主張の前段部分についてはこれと見解を同じくするものであるが、この問題については予て学説の対立が見られ、未だに裁判例も区々に分かれているといった状態であるから、このような法状況に鑑みれば、既にみたとおりの事情で損害を被った原告に対して、専ら民法五六八条による担保責任を追求すべきであり、国家賠償法上の救済を求めることはできないとする後段部分の結論を押しつけることは相当でないものというべく、結局被告国の右主張を採用することはできない。

そうすると、前記5でみた過失割合による過失相殺をなした二五万三二六二円について原告は被告国に対して損害賠償請求権を有するということになる。なお、弁護士費用については、本件訴訟の審理経過及び右認容額等に照らせば五万円の限度でこれを認めるのが相当である。

四結論

以上によれば原告の本訴請求は被告国に対して三〇万三二六二円及びこれに対する平成元年四月八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容するが、被告国に対するその余の請求及び被告井戸川に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとする。なお、原告は仮執行宣言の申立をしているけれども、本件においてはこれを付するのは相当でないものと考える。

(裁判官西理)

別紙<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例